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斑鳩の里と書いて(いかるがのさと)と読むそうです。弱冠十九歳にして摂政(せっしょう)の大役を推古天皇から任された聖徳太子が、601年に蘇我馬子の制約から離れ、摂政としての政策を実施する目的で新しく宮を建設し、日本の政治の中心地とした場所が斑鳩の里(太子の里とも呼ばれる)です。 今回は1974年発行の『日本の歴史 第2巻-飛鳥古京』(研秀出版株式社)の内容をベースとした内容です。なお、本記事はLobyの別ブログにて記載されたものに加筆修正をしたものであることをお断りしておきます。
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