日本語のルーツを求めて Part 2 [探求]

前回は中国語が文法的、発音の点から日本語の祖先語ではないということについて述べました。
そして朝鮮語が文法的には日本語に類似してはいるものの、単語の対応がない(正確に言えば少なすぎる)ことから日本語からは遠い言語であるとの結論に達しました。
朝鮮語が含まれるアルタイ語には他にも、ツングース諸語(満州語、ウィルタ語など)、モンゴル諸語(モンゴル語、ブリヤート語など)、テュルク諸語(トルコ語、ウズベク語、カザフ語など)などがあります。
しかし、これらの言語も”単語の対応”がないことから日本語の祖先候補から除外するしかありません。

さて、日本近辺に日本語の源流らしいものが見つからないとすれば、ちょっと足を伸ばして少し離れたところを見なければなりません。


日本語は果たして海を渡ってきたのだろうか
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アルタイ語圏 (Wikipediaより)
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ドラヴィダ語

そこで言語研究者たちはインド南部~スリランカ東北部などの地域で使われているドラヴィダ言語に目をつけました。 ドラヴィダ語は基本的にはアルタイ語と同じ文法の使い方をする言語です。
インドといえば ヒンディー(”ヒンディー”のみで言語をあらわすため、正確にはヒンディー語とは言わない)を言語として使うことで知られていますが、ヒンディーはサンスクリット、プラークリットなどの古代言語を源流としていますが、インド南部およびスリランカ東北部で使われているドラヴィダ語はヒンディーとはまったく別の言語なのです。
そのドラヴィダ語と日本語の類似性については、19世紀の中頃、イギリスの宣教師ロバート・コールドウェルによって最初に指摘されています(コールドウェル著『ドラヴィダ語、すなわち南インド語族の比較文法』)。 また近年には芝烝(しばすすむ 京都女子大名誉教授)が『古代における日本人の思考』(1970年)、『ドラヴィダ語と日本語』(1974年)でおいて類似性を指摘しました。

ここでドラヴィダ語というものを少し詳しく見てみましょう。
ドラヴィダ語族(注:語族とは、言語学上、同一の起源(祖語)から派生、発達したと認められる言語群の集まり)は、主にドラヴィダ族の人々が使用する言語の語族であり、主に南インドとスリランカで話されていることは述べましたが、その他にもパキスタン、ネパール、そして東部及び中央インドの特定の地域でも使われていて、ドラヴィダ語を使用する人口は 2億人を越えると言われている一大言語です。
ドラヴィダ語族にはおよそ26にわたる言語が含まれていますが、中でも大きな言語はカンナダタミルマラヤラム(以上、南部ドラヴィダ語派)、それにテルグ(中南部ドラヴィダ語派)という四つの言語です。ちなみにこれらの四つの言語使用者は1億3千万人と推定されているそうです。


ドラヴィダ語の影響があると考えられる世界の孤立言語(Wikipediaより)
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ドラヴィダ語族の四大言語はインド南部とスリランカ東北部で使用されている(Wikipediaより)
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この四つのドラヴィダ言語はそれぞれ文法も単語も違う文字体系をもっているため、一口にドラヴィダ語の研究(とくに日本語との比較)といっても並大抵ではありませんが、そこに救いの女神とも言える一冊の辞書が出現します。
それは、オックスフォード大学のトーマス・バロウ(Thomas Burrow)とマーリ・エメノー(Murray B. Emeneau)が20年にわたる研鑽の結果として1961年に出版した『Dravidian Etymological Dictionary』(ドラヴィダ語源辞書)です。この辞書は18種のドラヴィダ諸語の単語を収めたもので、以降、ドラヴィダ語研究者必読のバイブルとなり、言語比較研究にたいへん大きな貢献を果たすことになりました。
このT・バロウ/M・エメノー共著のドラヴィダ語源辞書はその頭文字をとって「DED」と専門家の間で呼ばれていますが、大野先生がこのDEDにめぐり合って大発見をします。
それはタミル語の中に日本語に対応する単語が驚くほど多数見つかったことです。
タミル語の中に日本語に対応する単語が500見つかったということは、大野先生に言わせれば”少なすぎるように思うかも知れないが、言語の基礎語は約2千語程度であり、ヨーロッパで比較言語学が始まった当初、ラスムス・ラスク(デンマークの言語学者・文献学者 1787-1832)は、ギリシア語、ラテン語とアイスランド語の間で350の単語が音の法則に合って対応すると指摘しました。 なので、対応する単語が500あるいうことは十分すぎる根拠となるのです。 



T・バロウ/M・エメノー共著のドラヴィダ語源辞書(左)  現在はドラヴィダ語源辞書和訳版もあります(右)
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さらにはオックスフォード出版のネット・ドラヴィダ辞書も





タミル語と日本語の比較


二つの言語を比較するにあたって重要なのは、二つの言語の音形をよく調べることです。


語とタミル語の音形・意味比較表(音形k の場合)
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その他の音形の比較表はこちらを見てください。


《k ~k の対応表》で、例3のkan-eは現在の日本では「カネ」と言えば「お金」を意味しますが、古代には金属であれば何でも「カネ」と呼びました。もちろんお寺の鐘も「カネ」と呼びます。これはタミル語ではkanとなり、銅・青銅(ブロンズ)を意味します。この場合はタミル語の「kan」に「e」を加えたことになります。 日本で最初に金属が使われ始めたのは弥生時代で、最初に青銅器、ついで鉄器が使われ始めました。 ちなみにタミル語で「kannan」(カンナン)とは金物細工師、鐘の青銅細工師という意味です。 つまり、「カネ」は青銅であると同時に「鐘」でもあり、日本の「カネ」の音形と意味とまったく同じなのです。
また、例7の辛しはタミル語でkar-iですが、有名なインド料理「カレー」の語源は「大英和辞典」(研究社)を見れば「cur-ry」の項に語源として「Tamil kari souse」とあり、カレーはタミル語のkar-i(辛い)から来ていることがわかります。
インド料理であるカレーは最初イギリスに入り、イギリスから日本に入ってきてカレーライスと呼ばれるようになりましたが、「カラ(辛)」という言葉はすでに奈良時代には使われていたのです。その証拠として『万葉集』には「辛塩(カラシホ)」という言葉が出てきます。
つまり、日本語もタミル語も昔から「カラ」という言葉を共通に使っていたのですね。


《s ~c の対応表》その他の音形の比較表参照)は日本語の「s」とタミル語の「c」の比較ですが、ミル語における「c」の発音は「s」として発音されます。例1の日本語の「寂ぶ sab-u」に対応するタミル語「campu」は うなだれる、力をなくす、花がしおれる、などの意味をもっています。これは日本語のさびれる、さびしい、を表現する意味と基本的には同じです。
また例7の「スリ」は現在で言えば電車の中や雑踏の中で窃盗する者のことですが、古代には鷹が小鳥をおそって餌をスルといっていましたのでタミル語の強奪と同じ意味になります。

《t ~t の対応表》 例5の「倒れる」は現在は”柱が倒れる”などと使われるのが一般ですが、昔から人が死んだり、政府が崩壊した時にも使われて来ました。 タミル語の「tap-u」は人の死などに使われる言葉です。
また例12の「(米を)つく=tuk-u」という日本語はタミル語の「tuk-ai=臼の中でつく」と対応しますが、これは後でまた取り上げることになりますが重要な意味のある言葉なので記憶の片隅にとどめておいてください。

《n ~n の対応表》日本語とタミル語の単語比較で興味深いのは、例2の「ナル(成る)」とか、例7の「姉(あね)」および例8の「兄(あに、あにや)」などのようにタミル語社会のものの考え方(成る)や社会生活の基本にある単語(姉、兄、それに父や母も)が日本語と対応しているということは重要な意味をもつということです。

《f ~p の対応表》日本語のfとタミル語のpの対応については、日本語で興味深い例があるのでここで紹介して理解しやすくしたいと思います。
鹿児島県の南部に喜界島(きかいがしま)という島があります。この喜界島の方言と東京の単語を比べて見ると下のようになります。

意味  東京語   喜界島方言

葉    ha      pa
歯    ha      pa
刃    ha      pa
旗    hata     pata
畑    hatake    pate
話    hanasi    panasi
昼    hiru      piru
舟    hune     punei 

ご覧のように、東京では木の葉(ハ)、口の中の歯(ハ)、ナイフの刃(ハ)、旗(ハタ)をふる、畑(ハタケ)、話(ハナシ)、昼(ヒル)、舟(フネ)と発音する単語があり、ローマ字ではそれぞれha、hi、huとなります。これが喜界島になると木の葉(パ)、歯(パ)、刃(パ)、旗(パタ)、畑(パテ)、話(パナシ)、昼(ピル)、舟(プネ)と発音し、それぞれローマ字でpa、pi、puとなりますが意味は全く同じです。つまり、h=pという関係になるわけです。
f ~p の対応比較においては、上述の東京語と喜界島方言と同様な対応比較となります。さらに日本語のhは昔はfと発音されていたことも前回説明しましたが、fはさかのぼればpとなるのです。したがって、喜界島のpは東京のfより古い言葉なのです。したがって古代の日本語のpはタミル語のpと一致することになるのです。
この論理から見ると、「f ~p の対応表」例1の旗(ハタ)は「旗」のことです。
この「ハタ」は機織りの「ハタ」と発音は同じです。「ハタ」に機械の「機」がつくのでこの場合の「ハタ」は織る道具だと誰でも思います。 しかし、奈良時代~平安時代の「ハタ」という言葉の使用例を見ると、「ハタ」とは着物の生地を指すのです。また、青森県や長崎県では「ハタ」は凧を意味します。 つまり「ハタ」という単語は「旗、生地、凧」の三つのモノを意味する単語なのです。 そしてタミル語で言う「pat-am 」は「旗、生地、凧」とまったく同じ意味なのです。 これは単なる偶然でしょうか?
また、例3の「日本語のハタケ」に対応するタミル語の「pat-ukar」は山とか低地とか水田とか、米やアワを植えるところを指す単語です。日本語の「ハタケ」は陸田、または耕作地を指し水田は含まれませんが、それは日本の長い農耕の歴史の中でタンボ(田んぼ)が水田を指すようになったためだと考えられます。しかし、タミル語には水田に対応する「tamp-al」(泥田)があるのです(注:t ~ t の対応の例7)。
例18の日本語の「フカス」は二つの意味があり、「芋をふかす」と「タバコをふかす」と使い分けられます。芋の場合は蒸気でふかし、タバコの場合は煙をはくわけです。タミル語には「puk-ai」があり、これも「蒸気」と「煙」の二つの意味があります。

《m ~m の対応表》例2のタミル語の「mat-il」は「城砦の壁」、つまり城や砦の周りにある防壁という意味です。これに対応する日本語の「マチ」(町)は城壁とはちょっと意味が違う感じがします。しかし、日本の歴史を見ていくと「マチ」という言葉は奈良時代頃にも使われていて、当時の平城京平安京ではみやこを左京と右京に分け、さらにこれを東西にはしる大路がみやこを南北に分けて四つに分割し、その一つを「坊」と書き「マチ」と称していたのです。また「坊」とは「四角にくぎる堤や壁」という意味で、それに囲まれた区域のことを指すのです。
つまり、「マチ(町)」という言葉はここから始まって京都などでは土塀で区切られた市街の一区画を「町」と呼ぶようになったのです。
ちなみに広辞苑で「坊」を見ると、(イ)区画されたまち。市街。「―門」「京―」(ロ)都城制の一区画。四町四方の称。「条―」と説明してあり、大野先生の説が正しいことを証明しています。したがって、現在の「町」という言葉は「土壁で仕切られた区画」という意味から始まったものであり、タミル語の「mat-il」(城砦の壁」意味と深い関連があると言えるでしょう。


平城京図

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平安建都の年、延暦13年(794年)に造営された神泉苑(しんせんえん)
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《f~vの対応表》 タミル語には「v」という発音があります。これは日本語のハ行の「f」、ワ行の「w」、それにバ行の「b」に対応します。その理由はタミル語の「v」という音が大昔に「p」という音の一部を合わせたからだと考えられています。
そこで、この表の中の例5を見てみましょう。日本語には「ハ」一音で発音できる単語があります。山の端(ハ)、包丁の刃(ハ)、葉っぱの(ハ)、言(こと)の葉=言葉の(ハ)、歯(ハ)などがあり、「歯」についてはf~pの対応の例12でも見ましたが、タミル語「pal」と対応しています。しかし、端(ハ)、刃(ハ)、葉(ハ)、言の葉(ハ)のタミル語対応単語は別と思われていたのですが、タミル語には「vay」という単語があったのです。
「vay」とは、基本的には「どんどん先に進んでいった先端」という意味で、ほかにも「鳥のくちばし」、「口(クチ)」、「コップやバッグの口」、「くちびる」、「ものの縁(ふち)」、「ナイフなどの刃」、「花弁」なども意味します。こうなれば、「vay」は日本語の山の端(ハ)、包丁の刃(ハ)、葉っぱの(ハ)対応するということになります。また、日本語の言の葉(ハ)については、タミル語辞書では「vay」は「word(単語)、speech(言葉)」という訳がつけられており、日本語の「言の葉(ハ)」とまったく同じ意味となります。



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コメント 4

akahara

タミル語とは共通点があるって話は聞いた事あります。
他にも色々な説がありますから実際はどうなのか、難しいですね。
by akahara (2010-08-23 20:36) 

駅員3

大変興味のある話題で、楽しまさせていただいています[わーい(嬉しい顔)][ぴかぴか(新しい)]
by 駅員3 (2010-08-24 10:04) 

perseus

おはようございます。
言語のルーツは以前に大学で講義を聞いたことがあります。
内容は忘れましたが(汗)
たどっていくと、必ず起源があるはずですので、その部分
を追求していくことは興味ありますね。
タミル語との類似、偶然ではないような感じですね^^
by perseus (2010-08-24 11:13) 

Loby-M

≫akaharaさん、日本語の起源については今まで色々な説が説かれてきましたが、大野博士の「日本語はどこから来たのか」を読むと理路整然とした説明でタミル語がもっとも日本語の源流に近いということが分かります^^

≫駅員3さん、コメントありがとうございます。
こういったテーマは私も甚だ興味をもっていますので、ブログに記載するためにいろんな調査をして自分なりにさらに面白いテーマだなと思っています。

≫perseusさん、日本語というのは本流はタミル語かも知れませんが、その他にも中国とかはては昔のアッシリアあたりからも単語とか擬語とかが入っていて複雑ですけど面白いですね。

≫HiroIshikawaさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫みうさぎさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫cjlewisさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫K-yaさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫sorasoraさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫未来さん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫cerulean_blueさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫JBOYさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫kakasisannpoさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫*ピカチュウ*さん、ご訪問&nice!ありがとうございます。


by Loby-M (2010-08-25 07:16) 

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