日本語のルーツを求めて Part 3 [探求]

 
稲作の技術をもつ人たちが日本に渡って来たのは紀元前10世紀ころと言われている
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    前回の続きで少々難しい日本語とタミル語の単語の比較です。
    もう少し辛抱して読んでくださいね。大野先生によれば、日本語は外国語を受け入れるときに“すべて名詞”で受け入れてきたそうです。
その一例としてフランス語の「いっしょに」という意味の前置詞アベック=avecは日本語に取り入れられたときに「男女のカップル」という、本来の意味から少々外れたものとなっています。
この外国語を取り入れるときに動詞でもなんでも日本語の名詞に転換するという習慣は、とくにタミル語との関係では穀物に多く見られます。

例えば、

               (クリックすると拡大して明確に見れます)
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タミル語で動作として表現される言葉が日本に入ったときに、その動作の結果生じる結果としての日本語になったのです。
それで前回見た《f ~v の対応表》の中の例9の「哀れ」(あわれ)は現代でも使われている言葉ですが、大野先生は最初、日本語の感動詞の「ア」と「ハレ」が結合して「アハレ」となったと考えていたそうですが、タミル語辞書で調べると「av-alam」という言葉の意味は英語では、

suffering(苦しみ)、pain(痛み)、poverity(貧乏)、weeping(泣くこと)、sorrowing(悲しむこと)、anxiety(心配)、sickness(病気)、poet, pathetic sentiment(詩では、哀愁にみちた情趣)

とあり、この最後の「pathetic sentiment」という訳がまさしく日本語の「アハレ」と同じ意味になるのです。
《f~vの対応表》で見たようにタミル語の「v」は日本語のハ行の子音「f」と対応するので、日本語の「af-are」(アハレ)はタミル語の「av-alam」と対応することになります。

単語の比較はこれくらいにして、今度は日本語とタミル語の母音の比較を見てみましょう。



◆母音の対応


これまでに見た単語の比較を見れば、日本語とタミル語の間には、「a=a、i=i、u=u」の対応があることに気がついたと思います。
しかし、そのほかにも下記の対応があるのです。

日本語の「ö」はタミル語の「u」
日本語の「i」はタミル語の「e」
日本語の「a」はタミル語の「o」

これらの母音の比較はこちらを見てください。

この比較の中で興味深いのは、タミル語の「kum-a=臼でつく」(表10参照)で、これが日本語の「kum-a=神様に供える米」であることは上図で示しました。 しかし興味深いのはこのタミル語の「kum-a」は「ö=u」の対応によって日本語の「köm」とも対応します。 そうすると、「köm-e=コメ(米)」にもなるです!
日本語のコメ(米)とクマ(神米)はどちらもタミル語の「kum-ai」と対応する形となります。
ここで重要なのは、日本の周囲の国々の言語、中国語や朝鮮語やその他の近隣言語ではコメ(米)の対応語がないということです。 それがタミル語の中に見つかったということは極めて重要なことなのです。
米はモミをとらないものはイネ(稲)ですが、それを臼でついてモミをとる、つまり「kum-ai(臼でつく)」した後には「kum-a=クマ(神米)」や「köm-e=コメ(米)」になるのです。

ちなみに稲の伝来ルートについては、従来は遼東半島から朝鮮半島を南下して九州北部に伝来したという説がありましたが

① 遼東半島や朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つかってない
② 朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり畑作米の確認しかされてない
③ 極東アジアにおける温帯ジャポニカ種(水稲)/熱帯ジャポニカ種(陸稲)の遺伝分析において、朝鮮半島を含む中国東北部から当該遺伝子の存在が確認されないこと

などの理由から否定されつつあり、水稲は大陸からの直接伝来ルート(対馬暖流ルート・東南アジアから南方伝来ルート等)による伝来であるとの学説が主流となり始めていることも大野先生などが唱えている、タミル地方からの稲および稲作の日本伝来説を裏づけるものと思います。(Wikipedia“弥生時代”より引用)


日本人の主食である「米」に対応する単語は中国語や朝鮮語には見つからない…
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もう一つ、生活に密接に結びついた単語の例を挙げますと、表12《a~o の対応》の中の例⑤「pokk-anai」を見てください。 これは地中に掘った穴、つまり「墓」を意味するタミル語です。 タミル語の「o」は日本語の「a」に対応するので、「pokk-a」は日本語の「pakk-a」と対応することになり、現代語の「hakk-a=fakk-a(墓)」となるのです。 この単語も「米」同様、近隣国の言語には見つからないのです。

以上、120近くの単語を比較してきましたが(注:タミル語と日本語の対応語は大野先生によれば500以上ある)、単語だけでは"外国から借り入れた言葉"である可能性もあるのです。 したがって、次の段階、文法の比較に入ることにしましょう。


◆文法の比較


日本語とタミル語の文章比較

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上の例①②のように、タミル語の疑問文は日本語と同じく文章の最後に疑問の助詞をつけます。
また、語順もまったく同じだと言うことがわかりますね。
例③は日本語の特徴である、たくさんの助動詞を使った文章例で、これをタミル語一つ一つ直訳するとタミル語の文章になります。
このような複雑な文章までもがきちんと順序が合うと言うのはめずらしいことであり、二つの言語の基本的構造がまったく同じであると言うことを示しています。


◆和歌の形式の符合

このような文章形式の符合のほかにも、たいへん興味深いことに和歌においても符合が見られるのです。
周知のように日本の和歌は五七五七七の形式でなっています。
万葉集に大来皇女(おおくのひめみこ)が弟の大津皇子(おおつのみこ)を大和へ帰すときに歌ったものがあります。

わが背子(せこ)を 大和へやると 小夜(さよ)更(ふ)けて あかとき露に 我が立ちぬれし
(私の弟を大和へ帰してやるとて見送って立っていると、夜がふけて やがて暁という朝露に私はぬれてしまった)

(クリックすると拡大して明確に見れます)
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この和歌を分析するとⒶのように五七五七七となり、さらに細かく分けるとⒷになります。
これと同じ形式の歌は中国にも朝鮮にも見当たりません。 しかし、タミル語の最古の歌集『サンガム』(紀元前の歌集)の中に下のような歌があります。

    (クリックすると拡大して明確に見れます)
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この例の場合も直訳は日本語で読んでも文章の順序に少しもおかしなところがないことがわかります。
そして、このタミル語の歌の母音の数をかぞえると、まさしく日本の和歌とおなじく、五七五七七の形式となっているのです。 ちなみに『サンガム』には同様の形式の歌が数多くあります。


◆ひとまずの結論

これまで見てきたことから、ひとまずの結論として次のことが言えると思います。

① 日本語は文法構造上は、アルタイ語、ドラヴィダ語と同類
② 中でも(同じドダヴィダ語の影響が大きい)朝鮮語とは、文法の構造上および単語においてかなり深い関係があることが分かります。
③ しかしながら、タミル語とはu>文法の構造上、および単語において(朝鮮語とより)さらに確かな関係があり、歌の形式も同じものがある。 したがって、以上の証拠から日本語とタミル語は同じ系統の言語であると言える。



日本の食の歴史


日本の食の歴史はLobyの考えでは、大きく分けて"稲作"以前と"稲作"以後に分けれると思います。
"稲作"以前とは言うまでもなく、稲作が日本に導入される以前の時代、すなわち縄文時代(紀元前145世紀~紀元前10世紀)であり、世界史的には中石器時代ないし新石器時代に相当する時代です。 特徴としてあげられるのは、土器の使用、竪穴住居、それに貝塚などですが、食料の確保は狩猟、植物採取、漁などを通しておこなわれていた時代です。

  縄文時代の土器(Wikipediaより)
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そして"稲作"以後とは文字通り、稲作が導入され、米が日本人の主食となった時代で弥生時代以降のことです。 
ちなみに、米は縄文時代にも作られていましたが、陸稲(おかぼ)が主で生産量もそれほど多くなく、日本人の主食とはなりませんでした。(もっとも、米が主食といっても100%が米だったわけではなく、アワ、ヒエなども大いに食べられていたと思われます)
なぜ、稲作が時代の分岐点になるかというと、後述するように稲作の導入後、たいへん大きな社会的、文明的変化が日本に起きたからです。
それでは、いつころから稲作が導入されたかと言うと、以前は紀元前400年頃と考古学的に推測されていましたが、最近の炭素測定法によると実際はそれよりはるかに昔、紀元前約900~800年頃だということが定説となりつつあるようです。

参考: 弥生時代の開始 / 弥生時代の開始年代

つまり、紀元前10世紀頃に九州北部で稲作が始まったのが最初ということになりますが、この稲作は最初から高度の水田耕作技術を使っていたことが分かっています。 米を含む穀物の生産は、その生産に取り組む人数位以上の収穫をあげれるというメリットがあります。 したがって、縄文時代のように生きるために山に海に必死に食料をもとめる必要がありません。 当然、労力もあまりはじめ、そのあまった時間をもった人たちは畑仕事以外の仕事、たとえば金属細工をするとか、土器を製造する人などが出てきたわけです。

◆金属器の使用

また弥生時代は初めて青銅器と鉄器が使われ始めた時代であることでも知られています。
大野先生は、世界史を研究するうえで重要なのは”いつからこの金属を使い始め、いつから機織りを始めたかを知ることだ”と言われています。 金属製の武器は石器のそれより鋭く、農業のための道具も効率がよくなり、金属の工具なども作られそれらを使ってさらに生活に便利な道具なども制作されるようになりました。 つまり、稲作の導入とともに職業の分化も始まったわけです。
弥生時代は職業の分化とともに大集落の形成⇒都市の形成が見られらた時代でもあります。 佐賀県の吉野ヶ里遺跡はその典型的な例として有名です。 
ここで、大野先生の指摘されている、金属、織物、墓という、生活・職業に密接する単語をタミル語と日本語で比較して見てみましょう。これらの単語はすでにこれまでに見てきたことの要約です。 金属・織物・墓に関する単語の比較表


吉野ヶ里遺跡
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栄根銅鐸(東京国立博物館蔵)
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稲作が外国から導入されたものであることはすでに述べました。それは弥生時代の遺跡から発見された水田のあとには畦道(あぜみち)があり、その畦道に水を取り入れられるように木の板を張ったり、並べたりして水田の水を自由に管理できるような仕組みになっており、このような高度な農業技術は急速に完成できるものではないからです。したがって、稲作はすでに高度な技術をもつ人たちが日本に伝来したと考えるのが道理なのです。
それでは誰が日本にもってきたのでしょうか? 米は中国の揚子江下流地域でも作られていたのですが、この地域の稲作関係の言葉で日本語と結びつくものはないのです。
ここでタミル語には前にも見たように、「(米を)つく」=「tuk-ai」というように直接、稲作に関係のある対応語があるということ極めて重要になるのです。


水田には畦道などの高度な水の管理技術がある
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◆ジャポニカ米とインディカ米

さて、文法的、単語の対応で見てタミル語と日本語が極めて近いということはすでに見ました。
また、日本の稲作技術が外国からもたらされてということも見ました。
では、そのほかに日本とタミルを近づけるものがあるか… というと、日本に稲作がもたらされた時以来、日本で食べられている米があります。これはみなさんもご存知の円形短粒の米です。
一方、外国に旅行した方やインド料理、スペイン料理などの外国レストランでライス(米)料理を食べたことのある人は知っているように、日本や朝鮮、それに中国の一部以外の外国ではインディカと呼ばれる長粒の米を食べるます。インディカはインド型イネのことで、インドを中心とする周辺諸国で主に栽培・食されることからこの名前がついていますが、日本の米とは種類が違うことから、日本の米はインドから来たものではないと長く考えられていました。

ところが、京都大学の渡部忠世教授は、インドやタイでは昔から現在と同じような長粒の米を食べていたのかということを調査した結果、昔はインドでも短粒の米を食べていたということを発見したのです。
渡部教授はどんな方法で調査したかというと、インドやタイではレンガを作るとき土にもみがらを混ぜて作るのです。そこで千年ほど昔の建築物のレンガを調べたところ、短いもみがらが出てきたのです。これは当時は短い米が食べられていたことを示します。
また大野先生自身、南インドに古代の米の調査に行き、古代インド・ヴェーラプラム遺跡(アンドラプラデシュ州・タミル州の北隣)から出た炭化米の形もジャポニカのように丸い米であったというインドの専門家の鑑定書を見たそうです。


ジャポニカ米     インディカ米
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コメント 3

みうさぎ

稲作繋がり~
われわれは 何処から来て
何処へ行くのだろうか
言葉も 何処からか来たか
たどると 面白いですね^^v
by みうさぎ (2010-08-27 10:07) 

perseus

こんばんは。
タミル語と日本語のルーツの濃厚さ。
一番しっくりと来ます^^
by perseus (2010-08-28 01:30) 

Loby-M

≫みうさぎさん、言語のルーツって本当に興味深いと思います。
でもタミルあたりが日本語の源流って誰も考えなかったと思いますね。

≫perseusさん、大野先生は様々な検証ののちにタミルあたりらしいと結論づけたわけですね。でも米の説明はたいへん納得がいきますね^^

≫未来さん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫cerulean_blueさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫Jerryさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫dorobouhigeさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫sorasoraさん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

≫私が三人目さん、ご訪問&nice!ありがとうございます。

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by Loby-M (2010-08-28 11:42) 

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