「果てしなき流れの果てに」とタイムトラベル [日本のSF作品]

ここだけの話しですが、私は古きよき時代のSFファンです。

まあ、そんなことはこのブログのスタイルを見れば一目瞭然なのですが...
幸いにも、私は日本のSF全盛時代を生きることができた人間の一人で、そのことをたいへんな幸運だと思っています。
日本のSF作家で一番好きなのは小松左京、二番目が平井和正、それから筒井康隆でしょうか。

平井和正の作品では初期の「狼男(ウルフガイ)シリーズ」とか「幻魔大戦シリーズ」などが面白かったのですけど、後期になると作品スタイルが次第にオカルトぽっくなってしまったので読むのをやめました。
筒井康隆作品では「メタモルフォセス群島」とか「家族八景(七瀬シリーズ3部作)」が好きですけど、ハチャメチャ的な感じで面白い「脱走と追跡のサンバ」という作品もありますね。

小松左京の作品は、読んでないのがないほど買って読みましたが、映画化された『日本沈没』や『復活の日』なども面白いけど、小松作品の中でやはり本格的なSFらしいSF作品と言えば、『果しなき流れの果に』ではないでしょうか。SFは、なんといっても大宇宙を舞台に縦横無尽に活躍する、というのがSFの原点のような気がします。この原点に復帰して大ヒットをしたのが『スターウォーズ』ですね。

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『果しなき流れの果に』は時間テーマSFで、1965年に『SFマガジン』に掲載後、単行本として出版された作品ですが、あまりにもスケールが大きすぎるので今まで映画化されていませんが、恐らく未来永劫にわたって映画化されないのではないか、と予想します。ヘタにハリウッドなどで陳腐なSF映画化されるとSFファンの夢を壊してしまいますから、小松ファンの私としては永遠に映画化などして欲しくないというのが本音です...


あらすじ

(ネタバレありですので読みたくない方は飛ばしてください)


 地球、中世代白亜紀。降りしきる火山弾の中、剣竜を倒したティラノザウルス・レックスは、不思議な物音に怒り狂う。それは洞窟に隠された、金色の電話機の鳴る音であった。
N大理論物理学研究所の大泉研究室に、K大の番匠谷教授が奇妙な物体を持ち込んだ。いつまでも砂の落ち続ける、不思議な砂時計である。大泉教授の助手、々村は、番匠谷教授とともに、砂時計の発掘された葛城山の古墳に向かった。だが、古墳の調査を行ったときから、野々村をふくめ、関係者は次々と失踪し、あるいは死んでしまう。

野々村の恋人である佐世子は、ひとり彼を待ち続ける。いつか年老いた佐世子は、旅の老人とともに暮らすようになるが、やがて二人も死んで、事件は終了する。だが、時は果ても知らず、流れさっていくのだった。




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 25紀。軌道エレベータ上にある超科学研究所で、古ぼけたTVセットの研究が行われていた。亡霊が現われ、未来から干渉してくる2つの勢力について警告するだ。が、亡霊の名がバンショウヤ・タカノリであることを知った工作員に資料衛星を破壊され、研究は長く滞ることになる。 時空を越える進化管理機構の超意識体、アイは、超科学研究所の破壊からもどり、第26空間の「収穫」に向かう。全宇宙に存在する全ての「意識」(生命とも読む)は、この管理機構によって育てられ、あるいは断種されるのだ。
第26空間に存在する地球は、太陽の異常で、いましも終焉を迎えようとしていた。「宇宙人」を装ったアイたち「審判者」は、破滅に瀕した太陽系から多くの球人たちを円盤でつれ去る。超能力を持つ人間を選別し、進化の階梯を進ませるのだ。 だが、管理機構に敵対するグループがいた。あらゆる変化のベクトル対する抵抗力が形象化された存在である、“ルキッフ”をリーダーとした反逆者たちである。管理機構から逃れた野々村も、その一人となっていた。彼らは、収穫」のどさくさにまぎれて多くの人材を味方に引き入れる。




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第26空間から超越者に選別された人々の一部は、別の時空間の火星にあるシトニウス基地に移される。その一人である松浦は、基地が反逆者の襲撃によって崩したとき、超意識体アイにその意識を吸収される。 松浦を吸収したアイ・マツラは、反逆者たちを追跡し、次々と捕らえていく。 ルキッフが後継者に指名た野々村は、超越者のニューヨーク支部を襲撃した後、円盤に攻撃され、白亜紀の地球にはじき飛ばされるが、時間機を修理し、未来に向かった。
一方、アイ・マツラは、自分でも理解できないほどの異常な執念で野々村を追う。地殻変動で海中に没した日本からの難民の末裔が移民したアルファ・ケンタウⅣまで出向くが、彼を発見できない。全宇宙のすべての可能性の結節点に網を張りめぐらしたアイは、白亜紀の地球で野々村の足跡を見つけ、追跡する。
 紀元前2世紀、7世紀、15世紀、と追跡は続いた。だが、同志に助けられ、野々村は未来へ逃れる。

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 45世紀。鯨座第5惑星でついに超越者たちに追いつめられた野々村は、3台の時間機のエネルギーを、一台に集中するという自殺的方法によって脱出を図るが、恐ろしい速度で超空間につっこみ、意識だけの存在となる。
全宇宙の進化管理を認識できる場にたどりついた野々村は、追いついたアイ・マツラに吸収される。そのとき、アイの中に存在する松浦と野々村の意識が激しく鳴し始め、アイは、初めて、自分がなぜ野々村にひかれたのかを知る。当人同志は知らなかったが、野々村は、松浦の子供だったのだ。  二人の共鳴に、ア自身の秩序が共振を起こし、アイは超空間に直行する方向に上昇を始める。階梯概念に逆らい、果てしなき流れの果てにあるものを求めて、アイは、問いを高に投げ上げる。

 超意識は?、超意識体は?、進化管理の意味は?、階梯とは何か? アイは、自分の属する大宇宙が、超空間において逆行宇宙として認識される、もう一つの別の宇宙とともに、新しい可能性をはらんだ第3の宇宙を生み出しつつある姿をかいまみるが、力つきて超意識体としての秩序を保てなくなってしまう。

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そして、2016年、スイス、ベルンの国立病院で、50年間眠り続けた謎の遭難者が目を覚ます。すべての記憶をなくしていた彼は、自らの帰属する場所を求て世界をさまよううち、野々村を待ち続ける佐世子のもとに身を落ちつける。 今は老齢の身となった佐世子にせがまれ、彼は、おぼろな夢の記憶を話し出すだった。「それは長い長い……夢のような……いや……夢物語です……」



この珠玉のような作品には、後年のいくつかの小松作品の萌芽がしっかりと詰まっています。
『日本沈没』がすでに描かれているし、『復活の日』の下書きのようなシーンの描写もあります。
また、『継ぐのは誰か』でテーマとされた”人類の次の進化”問題は、『すぺるむ・さぴえんすの冒険』でもテーマとなった”なぜこの宇宙に生命が存在するのか?”という問題と関連して、『果てしなき...』の中で徹底的に掘り下げられます。

小松左京は、この作品で単なる”面白く壮大なSFを書いたのではなく、彼なりの「生命哲学」をSFという手段を使って書いたのだと私は思います。 う一つ、この作品で感銘を受けるのは、物語の壮大さも然りですが、去ってしまった野々村を待ち続ける佐世子が流れ着いた奇妙な生涯の果てですね。いや、奇妙さという表現は相応しくないかも知れません、麗しい生涯の果てと直すべきでしょう。ともかくたいへん感動的なエピローグです。

 

タイムトラベル


『果しなき流れの果に』の中で扱われている時間テーマというか、タイムトラベルは古くからSFで取り上げられてきたテーマの一つで、古くはH.G.ウェルスの「タイムマシン」、ジャック・ウィリアムスンのパラレルワールドをテーマとした「航時軍団」とか、タイムパトロールものの古典とも称すべき(このタイプのSFはちょくちょく日本でも見られますね)ポール・アンダースンの「タイム・パトロール」、究極のタイムパラドックスSFと評されるロバート・A・ハインラインの「輪廻の蛇」(1959年)などという様々なプロットのタイムたラベルものがあります。

 

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これらの作品の中にはまだ読んだことのないものも多くありますが、日本のSFで時間テーマを取り上げた作品は多くありますが、その中でも注目に値するのは、「果しなき流れの果に」の他に梶尾真治の「時尼に関する覚書」(1990年)があります。同作品は、『美亜へ贈る真珠』という短編集の中に治められている小品ですが、ファンタジーロマンの傑作ともいえるこの作品です。

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 「時尼に関する覚書」のストリーは、次のようなものです(読みたくない方は飛ばしてください)

- 私「ヤスヒト」は昭和22年生まれ。3歳の時に初老の女性と出会う。その人は私の顔をじっと見つめ、自分の指のリングを私にはめ去っていった。 そして小2の時、またその人と出会う。名前を時尼(じにい)といった。それから年に一回ほど偶然会うのだが、不思議なことに、出会うたびに 若返っていっているようだった。時尼は自分を「そときびとだから」と説明した。「そときびと」とは未来から過去に向かって生きてゆく人種だという。 

こ作品は、主人公「ヤスヒト」は過去から未来へと進む時間軸の中に生きているのに対し、時尼は未来から過去へと逆行する時間軸の中に生きているため、おたいがコンタクトするのはそれぞれの時間軸が進行している中で起こるため、ヤスヒトは次第に青年になって行き、反対に時尼は若返って行く... という展を見せ、ついに(当然?)は若い二人は恋におちいるというクライマックスを迎えますが、二人が結ばれて間もなくして時尼はヤスヒトの前から消えてしまい、数年後に小さな子供を連れて現れ(誰の子供か想像がつきますが、これにはあとで驚く顛末があるのです)、それ以降は時尼が次第に子供になって行きます。そして、ある日、ヤスヒトは公園で泣いていた幼い時尼に出会い、その時に”自分が果たさなければならないこと”を自覚し、自分が幼い日(初めて時尼おばさんと合った)に彼女からもらった無限のシンボルのついた指輪を幼い時尼に渡します。こうして二人の時間の輪は閉じられ、二人は永遠におたがいを見守り、愛しあってきつづけるのです。

梶尾氏は、「時尼に関する覚書」を「ジェニーの肖像」に対するオマージュとして書いた、と同
作品の冒頭で述べていますが、ジェニーと時尼というヒロインの名前が似ているところ、また物語の主要人物が恋におちいるところなどは似ていますが、似ているのはそこまでで、ストリーはまったく違ったもので、「ジェニーの肖像」に優るとも劣らない純日本製タイムトラベルものSFの珠玉の作品と言えるでしょう。


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タイムトラベルは可能か?


 では、SFの世界ではごく普通のこととして扱われているタイム
トラベルは実際には可能かという、誰でもかなり興味を持つ問題が出てきます。 タイムトラベルの可能性については、10年ほど前に科学者らが、光速を超える「超光速」の光パルスの伝播を特定の媒体で発見したと発表したことでかなり話題になったようですが、その後、その現象はたんなる視覚効果であったことが判明したたものの、研究者たちは光子1個が光速を超える可能性があるかもしれないと考えていたようですが、AFPニュースは、2011年7月25日付の香港新聞が、《Du Shengwang氏率いる香港科技大学(Hong Kong University of Science and Technology)の研究チームは、光子1個が「宇宙の移動の法則に従っている」ことを証明したと発表》との記事を紹介し、タイムトラベルが夢物語、いや、SFの中でしか可能でないということを伝えています。香港科技大学のウェブサイトに掲載されたプレスリリースでは、Du氏は、アインシュタインが正しかったと考え、議論に決着をつけるために、史上初めて光子1個の最高速度を測定することにした。Du氏の研究チームは、測定の結果、「光子1個は光速を超えることはできなかった。アインシュタインの因果律、すなわち結果は原因なくして起こりえないとする主張が正しかったことが確認された」と発表しています。なお、この研究論文は、米国の科学査読論文誌「Physical Review Letters」に記載されています。 関連記事


未来人ジョン・タイターのケース

科学者による研究やアインシュタインの理論では、この宇宙には”光速を超えるものはない”ことになっていますが、一般的に有名なエピソードに「未来人ジョン・タイターの大予言―2036年からのタイムトラベラー」(関連サイト
があります。これは、2000年11月2日、米国の大手ネット掲示板に、2036年からやってきたと自称する男性、ジョン・タイターが書き込みを行ったことに発端するもので、ネット掲示板やチャットを利用しての交信を通じて、タイムトラベル理論や彼が住んでいたという未来の状況、未来人である証拠などを提示したものです。(その過程でアップロードされた資料は、 現在も閲覧可能である)


タイターのタイムマシン概略図
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タイムマシンは2034年に欧州原子核研究機構 (CERN) により試作1号機が実用化される?
cern.jpg


タイターは、最初の書き込みから約4か月後の2001年3月に「予定の任務を完了した」との言葉を残し書き込みをやめ、現在は消息を絶っていますが、タイターの予言の中には眉唾ものが多く、どうやら”お金儲け”目的で造られた架空の人物という気がしますね。


タイターの予言の中では、日本は2020年に中国に占領(?)されてしまうという
japan2020.jpg

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